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一人の解雇は悲劇でも、集団の解雇は統計上の数字に過ぎないのか?

非正規失職12万4802人、再就職わずか1割(読売新聞)

私の実家の自治体が約3万弱ですので、その4倍という数字から規模の凄さが実感できます。
もっとも、こうした悲劇的報道が当たり前となってしまったせいか、何の感慨も無い人も多いのかもしれません。
企業は無駄な人員を減らしコスト削減をする事だけしか頭に無いようですが、その結果として自殺という痛ましい事件が発生してしまいました。
これは過酷な個への負担が重く圧し掛かる実態と、それに耐え切れない人がいるという事実を示す出来事と考えます。

非正規に限らず失業により社会との関わりであった仕事を失った人々は、個としての価値や存在を否定された棄民のようなものです。
明日への希望を捨てず、再就職という新たな挑戦を挑む余力がある内はいいでしょうが、それにも限界はあります。
今の日本は個に対してのみ背負いきれない「自己責任」を押し付け、少しでも失敗をしたら奈落の底へ落す「個を否定する」社会に成り果てていると考えます。
今の国会でそうした状況を堕落と批判した議員さんがいましたが、正にその通りでしょう。

ところで本来「責任」を負うべき立場にある責任ある人々や法人である企業はどうでしょう?雇用の区別なく職を奪われ棄民と化しつつある人々に対し、背を向け無関心を続ける事について恥じる気持ちすらないのでしょうか?

もし少しでもまだ良心があるなら、今すぐに「行動」を起こしてください。
過ぎた「自己責任」の押し付けの果てに、救われるべき人の命が散華してからでは遅いのですから。

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